Clockwork Angels the Novel summary(part3)






第14章


 フランチェスカにプロポーズを断られたオーエンはショックのあまり、そのままカーニバルから出て行く。あたりはすっかり夜で、行くあてのない彼は、そのままスティームライナーの線路をクラウンシティに向かって歩き出す。彼はフランチェスカが自分を拒絶するとは思ってもみなかった。「そんな風に捕らわれたくない」と彼女が言ったことがショックだった。本当に愛するものとの結婚が、束縛と考えているなんて。彼女は自分と結婚する気なんか、まったくなかったのだと。
 さ迷い歩きながら、オーエンは思っていた。いつかカーニバルで見た『想像上の生き物のケージ』――窓から除くと、自分の想像しているものが見える。あれと同じで、彼はフランチェスカを自分自身のイメージのフィルターをかけて見ていたに過ぎなかったのだと気づく。彼は舞い上がり、自分の理想、見たいものを彼女の上に見ていただけなのだと。自分の彼女への愛情は、カーニバルの人たちも知っている――それほど明らかに見せていたのに、誰も忠告はしてくれなかった――そう思った時、彼は気づいた。三人のピエロがオーエンの誕生会で見せてくれた寸劇の中に、オーエンに扮した一人がうっとりと倒れた上を、フランチェスカに扮したもう一人が、無慈悲に歩いていくというものがあった。そして、ルイーザとトミオは言葉で忠告をしてくれさえもしていた。でも恋に夢中になっていたオーエンには、それは流れていく雨のように、すっと通り過ぎてしまっていたのだった。彼はカーニバルの人々が好きだった。家族のような気さえしていた。しかしフランチェスカとの恋に破れた今、カーニバルに留まることはできないと思った。
 オーエンは衝動に駆られて村を出てきてしまったことを、後悔していた。こんな無謀なまねをして、父やラヴィニアたちを心配させた上、すべてを台無しにしたのだと。何も知らずラヴィニアと結婚して、満足して果樹園にいるべきだった、やはりウォッチメイカーに決められた計画を外れるべきではなかったのだ。何もいいことなんてない――

 そう思いながら線路を歩いていると、その際に一人の男が立っているのが見えた。「こんなところで何をしているんですか?」と問いかける彼に、相手は「私も君と同じ質問を返せると思うがね」と言う。
 最初は暗くてよく見えなかったが、近づいてみるとそれは、最初にオーエンをスティームライナーに引っ張りあげた男だった。痩せた顔に太い眉、とがった口ひげとあごひげを生やし、その場にそぐわないスーツをきちんと来た男。相手もオーエンを認識しているようで、「君はあの時果樹園から脱出してきた子だね」と言う。
「僕は来るべきではなかったと思いました」と言うオーエンに、「それは馬鹿な考えだな。君はつまらない村の生活から出て、多くの興奮するような経験をしたじゃないか。それこそ人生だ」と。馬鹿、と言う言葉に対し苦い思いを感じながら、オーエンは答えた。
「でも僕は失意のどん底なんです。やっぱりウォッチメイカー様が定めたプランを外れるべきではなかった。間違った決断をしたと思っています」
「君もスタビリティに洗脳されているんだな」と相手はからかうように笑う。
 オーエンは相手のところに行こうとして縁石を乗り越え、バランスを崩すが相手は手を貸さない。相手は言う。
「人は自由が何なのかを知らない。そしてスタビリティを杖のように使って、自分の足で歩こうとしない。本当は歩くことも、走ることも、飛ぶことさえ出来るというのに」
 オーエンは男のそばに行き、傷ついた方でない手に刻まれた刺青を見る。
「それはどういう意味ですか?」と問うと、「錬金術で言うところの沈殿物だが、私には石の中の血を連想させるね。いや、血から石を作り出すのかな」と答える。
「僕はあなたを知っていますよ。トミオが話してくれました。あなたはダンジェロ・ミステリオソと言うステージネームですよね。彼はあなたには何かが欠けていると言っていました」「ウォッチメイカーの社会にも、何かが欠けている。極端な秩序は、人々の心を殺すだろう」と相手は言う。「極端な自由も危険ですよ」と言うオーエン。男はさらに言った。「クロノススクエアでのパフォーマンスのことを考えてみたまえ。ウォッチメイカー自身もそこに来ている。その下には、この都市のすべての動力をつかさどる『冷たい火』の製造源がある。もしそれが途絶えたら、見ものだろうな」
「そんなことをしたら、都市の機能が麻痺します。スタビリティ以前の混乱に戻ってしまう」と言うオーエンに、「そうだ、そこでまっさらな状態から、また始めたらいい」と相手は言う。「人々は自分の意思でなにかをやるべきだ。誰かに決められたことじゃなく」「でも、間違った判断をしてしまうかもしれません。僕のように」
「それも自分の責任なら、納得がいくだろう。ウォッチメイカーのプランでなしに」
「僕はウォッチメイカー様を信じます」
 そんなやり取りをしている間に、クラウンシティへ向かうスティームライナーが近づいてきた。オーエンは言った。
「何も計画がなければ、世の中無政府状態(アナーキー)になります」相手は言う。
「そうだ。アナーキー。望むところだ」
 オーエンはその時、自分が話している相手の正体に気づく。最初から気づいているべきだったのだ――
 アナキストは近づいてくるスティームライナーに慣れた動作で飛び乗った。その表情と浮かんだ笑みを、オーエンはただ見つめていた。アナキストが乗ったスティームライナーは、クラウンシティへと去っていった。





インタルード:ウォッチメイカー


 ウォッチメイカーは塔の中の個室で、小さな装置の調整をしていた。それは金で出来たこぶし大の小さな機械で、動力源である冷たい火と、さまざまな部品、そして錬金術によって生み出された物質が内蔵されている。額にはさまざまな色のレンズが取り付けられたベルトを巻き、時々そのレンズを換えながら、集中して手元を覗き込んでいた。彼の周りには、定位置に収められた四体の天使像が取り巻いている。彼女たちは光、空、大地と海を象徴する。そして彼は五つ目のもの、命をコントロールしていた。
 二世紀以上にわたってスタビリティの中枢、アルビオンの支配者となってきた彼は、黄金にも冷たい火にも、今はそう興味がない。若い時は富を、中年になると権力を求めたが、今彼が欲しているのは命であり、時間だった。命――有機物を生み出す錬金術。命の元とも言えるものを生み出すことだ。
 もうかなり昔のこと、ウォッチメイカーは原始的な『命の源』を彼の娘に使った。娘が不治の病で死のうとしていた時に。それは彼女の頭を生かすことは出来たが、身体を生かすことは出来なかった。それゆえ、その部分を補わなければならなかったのだが――その頃『命の源』は強力だったが洗練されてはおらず、制御もあまり出来なかった。そのため、娘の一部はずっと生き続けることになった。そのことで、彼女は決して父親を許さないだろうと思えた。
 扮装して街を歩いている時、彼は何度か娘を見かけた。クロノススクエアにカーニバルを招いたのも、彼女に会いたかったからだ。彼女は決して父を許そうとはしないだろうし、話をすることも出来ないだろうが、それでも彼女の姿を見ることが出来ると。
 今は『命の源』もずっと扱いやすく、穏やかなものになっている。そのおかげで、彼も命を永らえることが出来ていた。彼は死ぬつもりはなかった。自分がいなければスタビリティも、長年彼が心血を注いで、穏やかに正しい秩序を守ってきたアルビオンも、自分より不完全な新しい指導者の元では、やがて崩壊してしまうだろうと思えたからだ。
 彼は装置を手に取り、一番近い天使像に歩み寄った。その羽の中央にある制御ボックスを開け、中にその装置を入れる。「目覚めよ」(実際の掛け声は『Animate』) すると装置が輝き出し、命を送った。天使像は羽根を広げ、また閉じた。首を回し、瞬きをする。そしてウォッチメイカーに向かって、愛情に満ちた微笑を向けた。それは彼をさえ、うっとりさせるものだった。
 しかし、次の瞬間――それは見間違いだったのかもしれないが――天使は嫌悪に満ちた、絶望的な表情を浮かべた。予期しない反応に、一瞬慌てるウォッチメイカー。それは彼自身のメカニズムを乱し、自分自身の『命の源』を取り替える羽目になった。
 天使は再び微笑み、そして元通り静止した。

 タイムキーパーの寺院の広い庭に、ウォッチメイカーは自身のミツバチたちを飼っていた。ミツバチの巣は完璧な形に整い、彼らの行動にはひとつの無駄もない。彼らからすれば、このスタビリティが支配する世界さえ、不完全に思えるかもしれない。
『しかし私は自らのベストを尽くしている』と考える、ウォッチメイカー。彼はミツバチの巣箱を開ける。もうほとんど生身の人体が残っていない彼は、刺されることは気にならないのだ。しかしなぜ彼の巣箱のミツバチが、この世界にある他の養蜂場よりかなり少ない蜜しか作り出さないかは、彼にも理解できなかった。さまざまな文献や実験をしたのだが、それでもなおわからない。しかし彼はそこから取れる蜜を特別なものとし、ほんの限られた場合にしか使わないことにしていた。
 庭に黒警備兵の司令官が入ってきた。彼は蜂たちから安全な距離を置いて立ち止まると、報告する。「ウォッチメイカー様。西の海の指定された海域での調査結果を報告に参りました」「レッカーたちは見つかったのか?」と問うウォッチメイカーに対し、答えは「いいえ」だった。「いいだろう。そこにはいなかったということは、また一つ調査の範囲を狭められた」と、ウォッチメイカーは言う。
 アトランティスからの貴重な鉱物資源を略奪するレッカーたちは、ウォッチメイカーにかなりの損害を与えていた。タイムキープや冷たい火の原料となる稀石のほかにも、彼自身の『命の源』を作り出すムーンストーン、サンストーン、ブラッドストーンなども被害にあっている。彼らは海のどこかに基地を持っているはずだ。飛行船での探索は、冷たい火の供給基地からそれほど長い距離は行けないので一度にできる探索は限られているが、海を地図上で、細かくきっちりと格子状に区切り、そのマスの一つ一つを探索させていた。そしてレッカーたちの基地が見つかったら、掃討に行く。それには自身も加わるつもりだった。レッカーとアナキストは彼の秩序を乱す、目障りな存在だった。しかしアナキストの破壊工作も、元に戻すことは簡単だ。混乱は秩序に勝てはしない――
「ありがとう、司令官。見つかるまで、調査を続けてくれ』
 ウォッチメイカーはミツバチが周りを飛び交う中に立ったままそう言い、黒い制服のレギュレイターは敬礼をし、蜂から逃れられたことに感謝しながら退出した。

 ウォッチメイカーは明るく照らされた分析室へと入っていった。最近では、『運命計算機』に一人の若者の運命を算定させ、その結果を時々覗きにここへ来ていた。その機械は、入力された人の運命を、木の枝が広がるような形のホログラムに描く。それぞれの選択で選ばれた方が残り、次の分岐へいく。選ばれなかった方は、そこで消える。その繰り返しだ。その道筋を追いかけていた。ウォッチメイカーが追跡している若者は、最初の頃はまったく普通の、他の人となんら変わりない航跡を描いていたが、数ヶ月前、まるで雪の結晶の角度のような、急な方向転換した。広大な砂浜の、一つの砂粒に過ぎない若者だが、アナキストが彼に目をつけている言うことで、ウォッチメイカーも注目することになった。そしてその若者を完全に自分の手の内に――自分の完全な信奉者へと戻すことによって、敵を敗北させてやろうと考えていたのだ。
 アナキストは運命計算機は持っていない。自分にはそのツールもある。その分、有利に進められる。そしてウォッチメイカーはオーエン・ハーディの行動を見守りながら、計算機によって算出されたツリーの流れを見ていった。今、ここまで来た。ここから先の彼の選択は、二つある。バレル・アーバーに戻るか、カーニバルを見にまたここにやってくるか。計算機の答えは後者だった。彼はきっとまた、カーニバルを見にやってくるだろう。





第15章


 オーエンは夜通し、スティームライナーの線路に沿って、クラウンシティを目指して歩いた。一連の出来事で、心はすっかり乱されていた。フランチェスカの拒絶、アナキストとの遭遇――今彼の心は混乱し、これからどうしていいかもわからなかった。昨日まで、彼は輝かしい夢の中にいた。しかし今は、すべて散りうせてしまった。バレル・アーバーに暮らしていた頃は、彼の人生は天体模型のように規則正しく動いていた。しかし数ヶ月前、衝動的にスティームライナーに飛び乗ってからは、無秩序にばらばらになってしまった。
 今頃マグナッソン大カーニバルは、クラウンシティの中心、クロノススクエアへと向かっているだろう。今日から夏至祭りの公演が始まるのだ。カーニバルの人々はオーエンがいなくなったことに気づいているだろうか。フランチェスカはどう思っているのだろうか。彼がいなくなった理由を、団員たちに話すのだろうか。そして笑ったりするのだろうか。
 オーエンはカーニバルの人々が好きだった。もう一つの家族のように思えた。フランチェスカだけでなく、ルイーザ、トミオ、ゴルソン、団長、ピエロたち、占い師、他にも多くの人々が。もしかしたら、飛び出してきたのは早計だったのでは。フランチェスカに会うのは気まずいが、彼女の方にも拒絶した何かの理由があったのでは。もしかしたら誤解か、早急すぎたのか、そう思う一方で、「そんな風に縛られるなんて真っ平」と言った彼女の口調を思い出し、自分はただからかわれていただけだろうかとも思うオーエン。
 もう一つの選択肢はバレル・アーバーへ帰り、ラヴィニアと結婚して、果樹園の管理者としての人生を送ることだが、とりあえずはカーニバルの人たちのところへ言ってみようとオーエンは思った。そもそも彼は天使たちのパフォーマンスを見たくてクラウンシティに来たのだが、そして実際に見たが、その喜びはフランチェスカの「あなたの顔の方が面白かった」と言うからかいで半減している。もう一度パフォーマンスを見てみたい――それもあった。彼は夏至祭りの公演が決まった時に、団長からチケットを渡されている。広場の中に入るのは可能だった。

 広場には多くの人が詰め掛けていた。観覧車やさまざまな遊具、ゲームブースが立ち並び、観客たちが集まる中を、オーエンは帽子を目深にかぶって歩いていた。そして占いブースに来た時、彼はそこには誰も人がいず、ねじを巻く人はいないにもかかわらず、占い師の老女が頭を上げ、時計塔をじっと見つめているのを見た。その時計塔の中に、ウォッチメイカーがいる。老女の目に青みがかった涙がにじんでいる。彼らは目に見えない交流をしているのだろう、とふとオーエンは思った。
 三人のピエロはコントショウをしていたが、それは密かにウォッチメイカーと一般の人、そしてアナキストの三者をもじったものであることを、オーエンは気づいた。観客たちは気づかなかったようだが。トミオは剣とカラフルな爆発を起こす玉で、「プレスト!」と掛け声をかけながらショウをしていた。ゴルソンはとんでもない重量のバーベルを持ち上げて人々を驚かせていたが、二つの錘は決して付け足すことなくしまわれていることを、オーエンは知っていた。観客たちにまぎれて、見つからないようにしながらオーエンは歩き回る。カーニバルに戻るにしても、公演がすんでからの方がいい。今は見つかりたくない――そう思った彼は危うくルイーザと鉢合わせしそうになって、慌てて方向転換し、あまり人のいない場所――カーニバルの人々が暮らすテントやワゴンが立ち並ぶエリアにやってきた。
 青警備兵が巡回し、大きな声で告げる。「アナキストが目撃された。気をつけるように。奴は茶色のフードつきコートを着て、あたりをうろついている』と。人々の間に、一瞬不安と緊張が走る。人々はアナキストの人相風体を知らない。しかしオーエンは知っている。一瞬それを青警備兵に告げようと思ったが、かつて自分が「ここに属していないものは、いることは許されない」と街を追放されたことを思い出し、躊躇する。
 マグナッソン団長が、フランチェスカのショウの開始を告げた。傷心のオーエンだったが彼女の姿を見たいと言う思いに勝てず、見ていた。彼女は美しく、生き生きとして、普段と変わりなかった。あの出来事は彼女には何の影響も与えていないか、もしくはそれ以上に彼女がプロなのか――彼女のパフォーマンスは相変わらず素晴らしく、踵に翼のついた女神のようだった。
 フランチェスカのパフォーマンスの最中に、天使たちが塔から現れた。そして輝くボールから光が放たれ、うっすらと良い香りの煙が立ち込める。パフォーマンスの時間が来たのだ。フランチェスカはいったん自分のショウを中断し、集まった人々も見上げていた。

 人々の視線がみな上に行っている時、オーエンはふとトミオのワゴンのそばにいる人影を見つけた。ワゴンの傍らには茶色の樽がたくさん積まれていた。トミオはとても注意深いので、決して実験道具を外に放り出したりはしない。その樽にはワイアと起爆装置がついていて、その男はもう一つの装置を手に持ち、調整していた。男の足元には茶色のコートが地面に広がっている。男は鼻から下を布で覆っていた。煙を吸わないようにするためだろう。目しか見えなかったが、その目にオーエンは見覚えがあった。
「おまえが誰だか知っているぞ」オーエンは言うが、相手は気にした様子もなく、作業を続けている。男が手に持ったものは、二つの時計を組み合わせたように見える、時限装置のようだった。「やめろ!」オーエンは飛び出す。
 アナキストがやろうとしていることは、トミオのワゴンにある火薬を爆発させること、その威力は広場に集まった大勢の人々を殺すだろう。フランチェスカや、カーニバルの人々や、観客達を。さらに広場の地下には、冷たい火の源がある。そこに引火したら、とんでもないことになる。そう言えば、アナキストに昨夜会った時、そんなことを示唆していた――「アナキストがここにいるぞ!」オーエンは叫んだ。
 アナキストはうろたえることなくオーエンを見ると、にやっと笑った。そして時限装置を起動すると、青い火花が弧を描く。彼はその時限装置をオーエンに投げた。ジャグラーとして練習を重ねてきたオーエンは、本能的にそれを受け止める。その装置を止めようとオーエンが奮闘している間に、アナキストは逃げていった。
 オーエンは青い火花でやけどするのもかまわずに、何とか装置を止めようとするが、止まらない。あと数秒で起爆する、と言うところで、彼はそれをトミオのワゴンの鉄車輪に叩きつけた。青い火花は途絶え、装置は壊れた。
 オーエンは安堵のため息をついた。彼の叫びでやってきた人々や、青警備兵たちに「もう大丈夫ですよ!」と言う。
「アナキストだ!」人々はそう叫んだ。オーエンは脱ぎ捨てられた茶色のコートの上に、起爆装置を手にして立っている自分に気づく。
「アナキストを捕まえろ!」
 そう言ってやってくる人々が自分を目指していることに、彼は気がついたのだった。





第16章


 オーエンは一瞬凍りついた。そして「違う! これは別の奴のだ。僕はみんなを救ったんだ!」と叫ぶが、アナキスト本人がとうに逃げ去った後では、説得力を持たない。天使のパフォーマンスと煙によって激しやすくなっていた人々は怒りに燃えてオーエンに向かって押し寄せ、何人もの警備兵たちが長い警棒を引き抜いて、こっちにやってくる。オーエンは一瞬躊躇した後、事情を説明することを諦め、逃げることにした。その場から駆け去ると、鋭い警笛が響き渡る。警備兵達が集結し、ゲートは封鎖された。
 クロノススクエアには、夏至祭りのためにカラフルな旗を飾ったロープが張られていた。その垂れ下がった一方の端をつかんで、オーエンはタイムキーパーの寺院の石壁を上り始める。足元では怒った人々が彼に石や果物などを投げつけ、赤や青の警備兵だけでなく、エリートである黒警備兵まで集まってきていた。天使たちがまだ塔のポジションについたまま、見下ろしている。彼女たちはいまや、復讐の天使たちになっていた。
 なんとか屋根までは上ったものの、すぐに警備兵が建物の中を駆け上り、やってきてしまうだろう。オーエンは寺院の屋根から別の建物の屋上まで、通信ケーブルが張られているのを見る。それは細いケーブルだが、その上を渡ってその建物までいければ、そこから下に下りて、クロノススクエアから出られる。それが唯一、脱出の道だった。オーエンは高所恐怖症を克服できたとはいえなかったが、怒った群集と警備兵の方がもっと怖かった。彼はフランチェスカが渡り綱の向こうから、彼を招いて渡らせたときのことを思い出した。あの時でも、失敗する方が成功する時より多かった。ましてや今は命綱もない、そして高い。綱は練習綱よりはるかに細い。落ちれば、冷たい石の歩道が彼を待っているだけだ。しかし、他に道はない――オーエンは意を決して渡り始めた。フランチェスカが向こうに待っている――「そんな風に縛られたくないわ!」その言葉がよみがえってきて、一瞬オーエンはバランスを崩したが、すぐに払いのけた。何も考えるな。彼女が向こうに待っているとイメージして、ただ歩いていくことだけを考えればいい。一歩一歩と。何とか向こうのビルの屋根にたどり着いた時、オーエンはう深い安堵のため息を漏らした。ちょうどその時、警備兵達が寺院の屋根に上ってくるのが見えた。オーエンはビルの屋根窓を蹴破り、階段を駆け下りて道路へ出た。そして暗い通りを、闇雲に逃げた。
 あらゆる時計台から鳴らされた警報が響く中、オーエンは走った。もうクラウンシティにはいられない。目撃者の証言で彼の似顔絵が作られ、彼は手配されるだろう。バレル・アーバーにももう戻れない。平和な果樹園でりんごを摘み取り、加工工場で働き、おとなしくて平凡なラヴィニアが彼の傍らにいる未来は、もう散りうせた。彼にはもはや故郷はなく、故郷がどういうものかも思いだせなくなっていた。そしてカーニバルにももう戻れない。レギュレイターたちは、彼らにも話を聞くだろう。カーニバルの人々は、オーエンは無実だと言ってくれるかもしれない。フランチェスカはなんと言うだろう。「ああ、あの子は馬鹿な子かもしれないけれど、危険な子だとは思わなかったわ」――トミオは本物のダンジェロ・ミステリオーソを知っている。フランチェスカの兄である彼は、オーエンに対しどう思っているかは定かではないが――しかしカーニバルの人々が無実を証言してくれたとしても、警備兵たちは信じはしないだろう。
 とにかくここから出て行かなくては――天使たちは夢を叶えることで、罰を与えることがある。衝動的にスティームライナーに乗り、プランから外れた結果がこれなのか――もはや『すべては最良の結果に導かれるのだ』と言う金言も、彼には信じられなくなっていた。
 走っているうちに、オーエンは曲がりピニヨン河の河口に出た。波止場には水夫たちがまだ働いていた。今まさに港を出ようとしている大きな船が見えた。白い蒸気が上がり、水夫たちが係留ロープを解こうとしている。その船がどこへ行くのか、わからない。かつて母の本で見たポセイドン、アトランティス、七つの黄金都市、そしてまだ名もない多くの見知らぬ場所――かつてそこへ行きたいと、夢に見た。今はただ、ここから出て行きたい。ここでなければどこでもいい。
「待ってくれ! 乗せてくれ!」オーエンは波止場を走りながら、叫んだ。ずっと走ってきたので息は切れ、胸は火を噴きそうに熱かったが、その必死の叫びに、ロープを解こうとしていた水夫のひとりが目を留めた。その男はいつかオーエンにパイナップルを味見させてくれた人だった。「あんたのことは知ってるぞ!」その水夫は言い、綱を解く手を止めた。
「待ってくれ! もう一人乗る予定の奴がいる!」その水夫はそう言い、動き出そうとしていた船から渡り板が下りてきた。オーエンはその板を渡り、船に乗り込んだ。水夫達は再び係留綱を解き始め、船は港を出て行った。
 船長に自分のことを話さないといけないが、なんと言えばいいだろう――オーエンは思い、そしてこれだけ言った。「僕は――クロノススクエアから来ました。そして――ここにいるつもりです」船長は頷き、それ以上の説明は求めなかった。





インタルード:アナキスト


 アナキストはいつものスーツに身を包み、皮製のアタッシュケースを下げて、アルケミーカレッジ(錬金術アカデミー)へと歩いていった。彼はウォッチメイカーに復讐をしたかった。ウォッチメイカーを、大学の教授僧を憎んでいた。カーニバルの人々、特にトミオに対しても。彼はカラフルな煙と光を出すだけのチャチなものより、もっと壮大なショウをしたかった。派手な煙と光を発して、ダイアモンドを合成する――もちろん危険かもしれないが、リスクなしの人生など、意味はないのではないか。なのにトミオは自分を追い出した。危険すぎるといって。かつて狭量な教授僧たちが自分を大学から追い出したように。
 誰も彼を理解するものはいない。彼はかつて将来を嘱望された学生だった。ウォッチメイカーでさえ、彼の才能を認めていた。しかしその学生はあまりに才能がありすぎると思われたゆえに、切り捨てられたのだ。
 大学を追われたあとも、彼は生き延びた。そしてその出来事と、さまざまな試練が彼を変えた。アナキストは手に刻まれたシンボルを見下ろした。彼はたしかに環境が作り出した、沈殿物なのだ。そして時折骨の奥からうずいてくる、古いやけどの痛みも。
 彼は時計を調整して、整然としたマーチから酔っ払いの千鳥足に変えることができた。それは小さな勝利ではあったが、人々を驚かせはしたものの、目覚めさせるには十分ではなかった。彼はクロノススクエアにある冷たい火の源を壊し、クラウンシティの都市機能を麻痺させることをもくろんだ。それはウォッチメイカー、カーニバル、そして無知な羊の群れすべてに対する復讐になる、と。
 しかしその計画は若いオーエン・ハーディによって破られることになる。彼にその計画を示唆したのは自分でもあるのだが――しかしアナキストは、第二の計画を実行し、その結果に満足していた。起爆装置を若き生贄に投げることによって、彼は若者の運命を再び急展開させた。怒った群集とレギュレイターたちに追いかけられ、アルビオンを追われることで、オーエンは第二の自分のようになるかもしれない。彼には可能性があった。アナキストはいつも一人だったが、仲間を欲しがっていたのだ。
 それは三日前のことで、オーエン・ハーディはアルビオンから逃げ、アナキストの手の届かないところに行った。しかし彼は戻ってくるだろう。その間に他の候補者を見つけることが出来るかもしれないし、どっちにしろレッカーたちもいる。
 アルケミーカレッジの近くの誰もいない裏通りに入ると、アナキストはアタッシュケースを地面に置き、それを開いて着替えた。スーツを脱ぐと、錬金術シンボルの入った白いローブを着、緑のサッシュを締め、角帽をかぶった。それはウォッチメイカー直轄部署に属する公式な中級錬金術師の制服だ。アタッシュケースを元通りに閉め、裏通りの脇に置くと、アナキストは再び表通りに出ていった。そして感情をすべて押し隠した、普通の人と同じ表情で、学校の正面玄関目指して歩いていった。
 もう何年も前、彼はここの学生だった。彼は教室の配置や授業スケジュールを覚えていた。それらは決して変わっていないはずだ。この秩序と繰り返しを重んじる、ウォッチメイカーの世界では。彼はここで目覚しい成績を上げ、教授たちは最初は誉めそやし、後に警戒するようになった。そして彼がカリキュラムにない自主的な実験をやり始めた時には、やめるように幾度も警告した。しかし彼はひそかなメッセージを受け取っていた。それは机の下や、寄宿舎の枕の下においてあり、励ましと、いくつかの助言が書いてあった。彼はそれを書いたのはウォッチメイカー本人であると知った。ウォッチメイカーは二世紀前に金を作り出し、彼のお抱え錬金術師達は冷たい火を作ったが、それからは何の発明もしていない。ウォッチメイカーは宝石を作ることは出来ず、かなりの対価を払ってアトランティスから輸入している。これらを作ることが出来れば――それを自分に期待しているのだろう。彼はそう思い、喜びながら実験を続けた。しかしその実験は大失敗に終わり、大きな爆発と、手が変形するほどの火傷を負った。そして彼は大学を追われた。
 誰もウォッチメイカーが後押しをしてくれたと言う彼の言い分を、信じてはくれなかった。彼らは笑い、正気ではないと言った。ウォッチメイカーは一学生にわざわざ秘密のメッセージなど送るわけはないと。しかし後で悟ることになる。ウォッチメイカーはわざと実験が失敗するように、嘘のアドバイスを送ったのだと。
 内心の感情を押し隠し、アナキストはカレッジの門をくぐった。見張りの警備兵はその制服を見て、何も疑いなく通した。やがて授業が終わり、学生たちは課題や次のテストに向けて勉強するために、ホールに向かっていく。学生たちの姿は、アナキストにかつての自分を思い起こさせた。しかし彼らが学ぶことは、すべて先人たちが発見したこと、証明された定理、実験――自ら何かを作り出したり発見したり、考えることすら求められない。知らないことは、幸いであるのだ。学生たちはアナキストの制服を見て、敬意をこめて頭を下げた。それが盗んだローブであることなど知らず、卒業したら自分もそうなりたいとの思いなのだろう。何も知らずに。
 アナキストは化学倉庫に向かって、まっすぐに進んでいった。倉庫の扉は複雑な装置によってロックされ、青く輝く冷たい火の動力スイッチに連結されている。さらに扉の前には赤い制服のレギュレイターが見張っていた。アナキストは近づきながら相手の階級を見極め、話しかける。
「大尉。私はウォッチメイカー様の命によって、中を調べに参りました。この中に一部乱れがある恐れがあるというのです」
「わかりました」相手は何の疑いもなく扉を開け、「お手伝いしましょうか」と言う。
「いえ、ウォッチメイカー様は私一人で調査するようにと言われました。一時間ほど時間をください。その間、どこかへ行ってくださるようお願いします」
 持ち場を離れるのは抵抗があるが、ウォッチメイカーの命令なら仕方がないと見張りが姿を消すと、アナキストは扉を閉め、ロックして倉庫の中へ入った。この中には一回だけ入ったことがある。一年生の時に、教授の後について中を整理した時に。
 大学を追われたあと、彼は海を渡ってアトランティスに行き、奴隷のように働き、飢えかけながらも、生き延びた。そしてウォッチメイカーの支配するアルビオンとはまったく違った世界と文化に感銘を受けたのだった。ここはたしかに無秩序だが、自由がある。
 アトランティスの中心都市ポセイドンの裏通りに、一軒の古い本屋があった。店の店主は痩せて背の高い、白髪交じりの茶色のカールが頭を覆っていて、めがねをかけた女の人だった。書庫にはたくさんの文献があり、アナキストは毎日そこへ通って読み漁った。そして店主に[わたしは知識の探求者は尊敬するけれど、ここは図書館じゃないのよ」と言われると、盗んだ金でもっとも欲しかった本を買った。店主は言った。「その本は別のタイムラインの世界からのものだから、ここでの物理法則がそのまま通用するとは限らないわよ」と。しかしアナキストはその意味がわからず、アルビオンに帰還後、その本に書いてあるとおりの実験をする。そして書店の主の言うことは正しかった。実験は大失敗に終わり、その結果二人の人が死に、アナキストは彼のそれまでのアイデンティティを捨てざるをえなかった。
 ウォッチメイカーは運命計算機を持っているから、アナキストが戻ってきたことを知っただろう。自分が作り出した復讐鬼を。だが彼の行動にはまだ追いついていないようだ――。
 倉庫の中で、アナキストはかつての実験を再現しようとしていた。もっと大きな規模で。そして必要な薬品を見つけ出すと、それをかき混ぜる。赤い蒸気があふれ出し、床を這っていく。彼自身の怒りのように。その上に、小さなビーカーを乗せ、最終的な反応を起こさせる、レッドファイアーオパールの溶液をその中に入れた。作業には絶対的な正確さが必要だ。ウォッチメイカーがいつも言っているように。
 彼はポケットから用意した装置を取り出した。二つの時計を取り付け、化学電池で動作する時限起爆装置。時間になったらそれはそれほど大きくはないが、ビーカーの中身を下にこぼさせるほどの振動を起こし、そして最終反応が起こる。アナキストは時間を八分後に設定した。見張りの赤警備兵は十分後に戻ってくる予定だった。
 そして倉庫から出ようとして、棚にあった運命計算機を見つける。前に一度見たことがあるので、それと知っていた。その装置は決して大きくはないので、ポケットに入る。それがあれば、オーエン・ハーディの未来も計算できる――アナキストは装置をローブの袂に入れた。倉庫を出る時、彼は仕上げにロック装置のスイッチを破壊した。
 アナキストは時計に目をやりながら、大学構内を抜けていった。急いでいるとは思われないよう、何食わぬ顔をして。そして大学の門を出た。警備のレギュレイターはほとんど注意を払わなかった。
 何年も前、この門を自分は追われた。今は征服者のように、ここを出て行く。
 彼は裏道に戻った。自分のアタッシュケースは置いたままの場所にあった。人々は盗もうなどとは、考えもしないのだ。彼はローブを脱ぎ捨て、元通りのスーツ姿になると、盗んだ運命計算機もケースの中に入れ、髪を撫で付けて、表通りに出て行った。そして群衆の中に紛れた。
 その背後で、アルケミーカレッジは爆発した。
 悲鳴と叫びが交錯し、人々は駆け出す。煙と炎が上がる中、アナキストは笑みを浮かべながら歩いていた。足元に、小さなかけらが降り注いできた。それはほんの小さなダイアモンドだった。あの実験の結果、精製されたものだ。彼は鼻で笑った。ウォッチメイカーは金しか作れなかった――
 彼らは自分のことを、決して忘れはしないだろう。





Back   Next    CA 訳詞     CA 小説版     RUSH TOP